D&D「ファンデルヴァーの失われた鉱山」に向けて/聖印編

たぶん Twitter TLが発端だと思うのですが。PLから聖印って《戦場の術者》がないと使いづらいんでしょ?みたいな話題があがったので、ちょっとまとめてみました。

関連ルール記載箇所

PHB p.203

(物質要素に価格が書かれていない場合は)物質要素の代わりに、呪文構成要素ポーチまたは呪文発動の焦点具を用いることができる。

PHB p.151

聖印を呪文発動の焦点具として使用するには、術者は聖印を手に持つか、外から明らかに見えるように着用するか、盾の表面に付けていなければならない。

PHB p.190

移動またはアクションの途中で、物体1つを扱うこと(1本の剣を抜くか鞘に納める)ことができる。

読み解き

 剣+盾持ちのパラディンが、動作要素+物質要素を呪文を使用する場合は*1、まず武器を納めて、動作要素は空いた手を用いて、物質要素は外から見えるところに聖印をつけたり、盾に聖印を付けておけばいい。

引っかかる記載

PHB p.203

物質要素を利用したり、呪文発動の焦点具を持つためには、呪文の使い手は1つの手が空いていなければならない。ただし、それと同じ手で動作要素を行なうことは可能である

とあるが、原文*2

A spellcaster must have a hand free to access a spell's material components -- or to hold a spellcasting focus -- but it can be the same hand that he or she uses to perform somatic components.

なので、

呪文の使い手は、1つの手で物質要素を利用する場合(または呪文発動の焦点具を持つ場合)、同じ手で動作要素を行なうことは可能である

と読むことにします。(記載の主旨は後半部の「同じ手で動作要素を行うことが可能である」であり、前半部はその条件を記載している)


 そう読まないと p.151の聖印を外から見えるように着用すれば呪文発動の焦点具として使用できるという記述と整合性が取れなくなってしまいます。なお外から見える場所に着用した聖印を使用するためにも、片手が必要という解釈があるかもしれませんが、その解釈は p.151の記載と矛盾してしまいます。原文は

To use the symbol in this way, the caster must hold it in hand, wear it visibly, or bear it on a shield.

とあります。(Holy symbol as a spellcasting focus[PHB p.151])

戦場の術者

 とはいえp.168《戦場の術者》に意味がないわけではなく。取得した場合は、武器や盾を持ったままで、動作要素を満たすことができます。つまり特技を習得していない場合は、武器を納めた状態で、リアクションで機会攻撃が発生した場合、自分のターンではないので武器は抜けないから、徒手空拳となるので、特技に意味がないわけではないです(他にも効果があります)。


つまるところ、普通に首から聖印をぶら下げてればokというストレスフリー設計思想だと思うのですが、いろいろと拗らせてる感w


とまあ色々書いた上で、とりあえずヒャッハーしとけばいいゲームなんじゃないかなw

*1:初期でそういう呪文あるっけ?

*2:原文が悪文っぽい