バージョンアップと世代
エセ論考注意報。スルー推奨スルー推奨。いくぜオモロ坂*1。
- 昨今、TRPGのシステムがバージョンアップしたり、再販されることがよくある。これからもきっと多くなるだろう。
- 完全新作にも魅力があるが、慣れ親しんだ作品のリニューアルも嬉しい*2。
- バージョンアップに際して、ユーザは必ずしも新しいもので遊ばなければならないわけではない。自分が好きな方で参加者を集めて遊べばいい*3。
- バージョンアップの類似事象として、海外産TRPGの翻訳があると思う。用語の相違等が発生し、同じプレイ環境とは言い難いのではないかと考えられるからだ。
- バージョンアップ等*4の際には、システム的な移行より、ユーザの意識の移行が難しい。今までもその前後のユーザ(先駆者と新規加入者)の間でさまざまな軋轢を生んできたと思う。そしてこれからも生まれていくだろう。
- ルールの変更、設定の変更、用語の変更、はたたまテーマの変更すらある時がある。新旧すべてのユーザのニーズを満たすのは不可能だ。
- 個人的な実体験としても Shadowrun, Vampire(WoD), D&D, トーキョーN◎VA, 天羅万象, アルシャード、ブレイド・オブ・アルカナ等があった。他にもあった。スムーズに移行したものもあれば、行かなかったものもある。僕が遊ばなくなったり、周りの人が遊ばなくなったのもある。
- ではこの事態に際し、ユーザは何をすればいいのか?
- 自分が選択したものを遊べばいいと思う。
- その際に先駆者と新規加入者のどちらが配慮するべきか? 先駆者が新規加入者に配慮して用語を変更したり、過去の話をあまり持ち出さないように配慮すべきか。新規加入者が資料を読み漁り先駆者に追いつくべく努力すべきか。
- 結局は両方の歩み寄りが必要。だが比重としては先駆者が新規加入者に対して配慮する方が重くあるべきだと個人的には思う。
- とりあえずその環境*5内で、最低限セッションが完結するように心がけたい。
- その上で新しいもので遊ぶ際には、旧い方の知識は知らなくても遊べる。でも知っているればさらに楽しく遊べるというスタンスで僕は遊びたい。
- どちらにせよ。他人のコミットメントの程度を自分と同一視するのは危険だ。旧版にあったからこの知識はあって当然。新しく始めたばかりだからルールは知らなくて当然。キャラクターは自作が当然。とりあえずサンプルを使うのが当然等。
- つまり過去は過去。現在は現在。自分は自分、他人は他人。
- でも狭いジャンルの中での狭い同好の士の間でもめるのは虚しい。だが残念ながらこれからも遊びつづける限り何度でも通る道なのだろう。
- 結局近しい人でも分かり合えないのに、身も知らずの人と簡単に分かり合えるはずもなく*6。分かり合えたと思ってそれは大抵錯覚や誤解で。そして人は変わる。自分も、他人も。
- じゃあどうする?
- とりあえず遊ぶか。
- 最後に残るのは実プレイじゃない?*7。
- 自分、不器用ですから。