『ヴァンパイア:ザ・マスカレード』ラ・ヴィ・アン・ローズ#3を遊んで
『ヴァンパイア:ザ・マスカレード』平日夜オンセ。全3話キャンペーン最終回。
3話目第1回目10/22、第2回目が10/29。計5時間ぐらい。
これまで
『ヴァンパイア:ザ・マスカレード』ラ・ヴィ・アン・ローズ#1を遊んで - T's Digital Junk!?
『ヴァンパイア:ザ・マスカレード』ラ・ヴィ・アン・ローズ#2を遊んで - T's Digital Junk!?
最終話
第4夜
ベルは同胞とともにマルカヴィアンの長老のもとへ訪れる。そこで彼女は自分の足場が不安定である現実を突きつけられる。同胞のリーダーは享楽家で、マルカヴィアンの長老はゲームは負けるほうに賭ける強迫観念の持ち主だった。いかに自分たちが分が悪い賭けであるか説得し、大会合への同行を許される。
— 漆妖 (@urusinoayakasi) October 22, 2018
ベルは同胞とともにマルカヴィアンの長老のもとへ訪れる。そこで彼女は自分の足場が不安定である現実を突きつけられる。同胞のリーダーは享楽家で、マルカヴィアンの長老はゲームは負けるほうに賭ける強迫観念の持ち主だった。いかに自分たちが分が悪い賭けであるか説得し、大会合への同行を許される。
— 漆妖 (@urusinoayakasi) October 22, 2018
なお、V:TMの史劇『ラ・ヴィ・アン・ローズ』の舞台、アラバマ州にメジャーリーグの地元チームがなかった。他のスポーツとかが盛んなのかな?
— 漆妖 (@urusinoayakasi) 2018年10月23日
第5夜
結果、失脚していたトレアドールの参議は復帰し、新たにマルカヴィアンの長老もカマリリャの中核に加わる。メリーの復讐は果たされ、ベルは公子を同族喰らいを行なうことで父と同じ業を背負う。しかし、すべてがうまくいったわけではなかった。アレクサンダーの不仲の父の手がノーマに伸びていたのだ。
— 漆妖 (@urusinoayakasi) 2018年10月29日
人間の世も移ろう。大統領も共和党から民主党へ、アレクサンダーの父の影響下にあるケネディの時代だ。同胞はノーマを探しながらキューバの血族と賤民の平等という容共警戒しなければならない。ノーマのような女性が「ハッピーバースデー・ミスタープレジデント」を歌い、キューバ危機の時代が始まる。
— 漆妖 (@urusinoayakasi) 2018年10月29日
アフリカ系アメリカ人公民権運動をゲヘナのテーマとした史劇だったが、世紀を跨いでいまだ我々は人種差別を克服していないため、おそらく血族はーー特にカマリリャはーー変わることはできなかっただろう。次のゲヘナは核の脅威の予定だが、冷戦デタントを経てなお拡散と新たな台頭の問題を抱えている。
— 漆妖 (@urusinoayakasi) 2018年10月30日
僕のキャラクターは、影に隠れず、臆せず、派手派手しく、強気なノスフェラトゥ。
VTMキャラシート
血族社会には興味がなく。波風を立てない程度の距離を取りつつ。
世の中の大抵の問題は金(資産4)か暴力(獣の鉤爪+剛力)で解決できると考えている。
終わってみると、1PCを長々と遊んだのは久しぶりで、しかも(自分的にはそれほど)ブレずに遊べたのは楽しかったなぁ。
セッションは、当事者性が低いお使いシナリオが、最終的にはPCからプリンスを輩出するというカタルシスな流れ。
1話が目的地までの移動(序)。2話が目的地から戻ってきたけど、それで安堵することはできなかった(破)、3話が陰謀劇のイニシアチブを得たPCたちが終劇の幕を引く(急)。
当初、ボクは話を全然読み違えていて。3話構成で、1話が1957年。とはいえシステムでフォローしている年代というわけではないので、第2話、第3話と時代が進んでいく流れなのかなと思っていたのです。ほら、不死だし。
が、遊び始めて、あれ?なんか違うぞ。(勝手に想定していた)ペースよりもゆったりとした感じで。あ、確かに昔はこんな感じだったかもぐらいの懐かしさ。話的には昨今なら1話でやるぐらいの話をこってりみっちりと遊んでいく感じ。
あとPL同士で次の展開を話し合うセッションは久々だった気がします。最近はスムーズに話の流れに乗っかっていく技術に専門化してたので、逆に目新しかったかなー。
それから次々の歴史上の人物が、ヴァンパイアだったり、その影の世界の関係者だったりと、架空史を展開していき、GM(ストーリーテラー)凝ってるな、というかこの設定を考えるの楽しかったんだろうなというのは、よーく伝わりました。力作。
というか/書いてあるようで、ふわっと書いていないルールは、ちゃんと処理しようとすればするほど煩雑になり、「いいか、戦闘とかするなよ、絶対だぞ!」というフリなんじゃないかと好意的に邪推しているのですが、たぶん気のせい(
— akiyuki (@akiyuki3) October 30, 2018
このところVTMをはじめフレームワークが古めのシステムで遊ぶことが多かったせいか。遊びやすい魅力的なシステムがたくさんある中で、面倒くさいシステムをあえて遊ぼうというのは、もちろんそのシステムに抗しがたい魅力があるからなわけで。面倒は面倒なりに遊ばなければ、そのシステムで遊んでいる意味がないような気もしているのですが。どうやったって(無意識にも)現代っぽい技術を取り入れて遊ぶことになるだろうから、どこまでそれをやっても元の風味を残すことが出来るのかな、などと最近SR5を読みながらつれづれと考えたりしたのでした。
あとなんかまかり間違って? 5版が翻訳されたりしないかなーとか、心の中の流れ星に願いを唱えたり。